Q &A
 
         
 
  「クリスチャン」とは何か教えてください。聖書を読んでいる人がクリスチャンだというわけでもないし、十字架のペンダントを付けている人に尋ねると、「クリスチャンではない」と言われました。クリスチャンは、教会の集会に行っている人、バプテスマを受けた人と思っていますが、どうなのですか?  
       
         
 
    クリスチャンとは何か、まず、聖書の中で次のような言葉があります。「弟子たちは、アンテオケではじめてクリスチャンと呼ばれるようになった」(使徒11:26)
 クリスチャンとは、キリストを信じる者に対する呼び名、ニックネームでした。のろいの十字架に死んだイエスをキリスト(メシア、すなわち救い主)と信じることは、ユダヤ人にとってはつまずきであり、イエスが死人の中から復活したと信じることはギリシャ人にとって愚かに見えました。しかし、キリストを信じる者たちは、アンテオケの町でキリストを愛して「キリスト」「キリスト」とキリストの御名を口にしていました。ですから人々は軽蔑の意味で、しかし、彼らの特徴を的確にとらえて「クリスチャン」と呼んだのです。
 そして「クリスチャンとは、キリストの人、キリストと一つである者、キリストに属する者という意味であるだけでなく、キリストとの有機的結合の中で彼の命と性質を持っており、日常生活の中で彼によって生きており、さらに彼を生きている者たちです。」(Tペテロ4:16回復訳フットノート1)

「恵みのことば」(第5号)
発行所 (有)日本福音書房

 
       
         

         
「クリスチャン」とは、キリストの人、キリストと一つである者、キリストに属する者、キリストとの有機的結合の中で彼の命と性質を持っている者と言われてもよくわかりません。どうして目に見えないキリストと一つになれるのですか?
 
  確かに、これは奥義的なことですが、経験となると、実はそんなに難しくありません。
 キリストを信じる者は、「クリスチャン」と呼ばれましたが、彼らはそれより前に「キリストの御名を呼ぶ者」と呼ばれていたことをご存じでしょうか?パウロは、以前はキリストを信じる者を迫害する者でした。彼は主イエスの「御名を呼び求める者」を捕らえていました(使徒9:14,21)。キリストを信じる者たちは「おお、主イエスよ! キリストよ!」と叫んでいたので、捕らえることができました。キリストを信じる者はキリストの御名を呼ぶ者であったのです。
 そのようにして、キリストの御名を呼ぶ時、だれでもキリストと一つになることができます。「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」(ローマ10:13)のです。クリスチャンは「主イエス!」と御名を呼んで、キリストを享受し、キリストを経験する人たちなのです。「主イエス!」とキリストの御名を呼ぶ時、復活の主は、わたしたちの心の深みである霊の中に入ってきて、わたしたちと一つになってくださるのです。

「恵みのことば」(第5号)
発行所 (有)日本福音書房

 
   

   
 
聖書を読むこと、集会に行ったり、バプテスマを受けることについてはどうですか?
  そうです。クリスチャンは必ず聖書を読みます。教会の集会に出席して、バプテスマを受けてください。クリスチャンは一人で生きるのではありません。「純粋な心で主を呼び求める人たちと共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい」(Uテモテ2:22)。クリスチャンは仲間と共に主を呼び求めるのです。教会生活を通して人生の真の意義に触れ、仲間と共に信仰から信仰に、恵みから恵みに、力から力に、光から光に、栄光から栄光に、祝福に祝福を加えられていきます。ですからクリスチャンは本当に幸いな人たちです。

「恵みのことば」(第5号)
発行所 (有)日本福音書房

 
   

   
神は唯一である、偶像礼拝をしてはならない、と教会の集会で聞きました。「あなたは、わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない・・・・・・・・・・・それにひれ伏してはならない」(出エジプト20:3-5)と聖書に書いてあります。真の神と偶像はどう違うのですか、もう少し教えてください。
 
   
 
  真の神は天地万物の創造者です。人も神によって造られたのです。しかし、偶像は「人が造った」ものです。
 真の神は、永遠から永遠にいます神、全知全能で、どこにもおられる神、愛と聖と義と光に満ちた神、生きておられる神です。偶像は「ものを言わぬ」「動くことができない」ものです。
 真の神は「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」と唯一絶対を主張されます。しかし、偶像は人が「自分のために」御利益のために造ったのです。
 真の神は「霊」ですが、偶像は人の手のわざ、頭の産物、人が考え出したものです。

「恵みのことば」(第6号)
発行所 (有)日本福音書房

   
 

 
では、お尋ねしますが、なぜイエス・キリストでなければならないのですか?」
  救いは上から来なければなりません。いくらもがいても救いは自分の中にはありません。難破船に乗っていながら、その船の中で何をしても救われません。救いはほかから来なければなりません。救いのエレベーターとして降りてこられたのが、神の御子イエス・キリストなのです。神の存在はわかったとしても、実際に神が人となって救いに来てくださらなければ、人には方法がありません。キリストこそ、わたしたちの救い主なのです。ここに大きな神の愛があります。人がこしらえた神、考え出した神ではありません。

「ベン・ハー」という映画
 ルー・ウオーレスは、将軍であり、また文学的才能に優れた人でした。彼は親友のインガソルと共にキリスト教という神話を永久に葬ってしまうような書物を書こうと、固い約束をしました。キリスト教は迷信であるから、キリスト教を破壊しようと二か年、欧米の図書館で資料を探しながら研究に研究を重ねました。ところが、その書物の第二章を執筆中、突然ひざまづいて、主イエスに向かって「わが主よ!わが神よ!」と叫んでいたのです。キリストの神性の証拠があまりにも決定的に強く迫ってきたからです。
 彼はもはやイエス・キリストが神の子であることを否定することができませんでした。彼はキリストに捕らえられてしまいました。その後、ルー・ウオーレスは、キリストは歴史上の実在人物であり、彼は死から復活した生きた救い主であることを証明するために書き直し、小説「ベン・ハー」を世に出したのです。これはまた映画化されたのは、ご存じのことと思います。

「恵みのことば」(第6号)
発行所 (有)日本福音書房

 
     

     
 
死から復活した生きた救い主、これは大変なことですね。どうしたら救われるのでしょうか?  
  聖書によれば、キリストが来られることは数千年も前から預言されていました。そして時が満ちて、彼は来られました。そして、彼はわたしたちのために十字架で死に、死から復活して、命を与える霊となられました。今、彼は実際に触れることができる生ける救い主です。あなたのすぐそばにおられます。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも・・・救われます」(使徒16:31)。ですから「主イエスよ、救ってください!」と祈れば、救われます。これは、知識ではありません。彼に触れるなら救われるのです。

「恵みのことば」(第6号)
発行所 (有)日本福音書房